▲2015年、本店が新しく生まれ変わりました。

事業内容

弊社では、駄菓子と駄菓子を用いて、さまざまな事業に取り組んでいます。

あまのやの歴史

移り変わる時代の中で変わらない駄菓子への想い。

昭和元年の創業以来、生きるのに精一杯の激動の時代を地域とともに邁進してきました。
生涯を通して店を切り盛りした創業者天野てつの想いを継ぎ、駄菓子のあたたかさをお届けします。

創業当時の天野屋繁田商店

▲創業当時の天野屋繁田商店

昭和元年 創業

伝馬町は東海道五十三次の主要な宿場町「府中宿」であることから、商業的に大変活気のある通りでした。当店「天野屋」は繁田平作・てつが創業。
当時貴重だった砂糖や水あめ、あんこ、餅など菓子材料を中心に販売。
屋号はてつの旧姓「天野」が由来。彼女は証券会社に勤めた経験もあり、さながらキャリアウーマンのごとく商売を推し広げていきました。

昭和15年 静岡大火

昭和15年 静岡大火

昭和15年1月15日の静岡大火。
特別火災の多い静岡では消防の力が強化されていましたが、乾燥と強風の為飛び火で延焼、昼頃の出火から夜通し燃え続け、火は烈風を呼びたちまち全市が消失。
当店のある伝馬町も全焼を免れませんでした。大火後は家の移動や新築が多く、復興に向かって町ぐるみで大工仕事を行いました。
そしてこの頃から駿府城跡地でも歩兵連隊の厳しい訓練がされ、戦争に突入していきます。

静岡空襲

昭和20年 静岡大空襲

昭和20年6月19日夜、警報と共に照明弾と焼夷弾が静岡の繁華街を襲います。
静岡市中心街を効率よく焼くため、その外周を取り囲むように火の壁を作る作戦だったものですから、まず伝馬町が最初の爆撃を受けました。
ようやく大火から復興を遂げた伝馬町と当店も、再び焼け野原と化してしまいました。

昭和25年頃の天野屋繁田商店本店

▲昭和25年頃の天野屋繁田商店本店

昭和25年~

二度の大きな災害を経て、町と当店も復興を遂げます。
次第に活気を取り戻した町と当店では、大手メーカーや小規模製菓店から商品を数多く仕入れ、大きな什器にたくさんの駄菓子を量り売りをしていました。
市内外から多くの小売店や個人客の来店があり、大変な賑わいだったそうです。

平成24年までの本店外観

▲平成24年までの本店外観

昭和25年新店舗開店直後

▲平成25年新店舗開店直後

平成25年~

現在の伝馬町と当店。町はオフィスビルや高層マンション・大型店と個人商店が立ち並び、古きと新しきが混在する町となりました。苦難を乗り越えた地域との絆は、これからの時代を生き抜く上で一層必要性を増してくるように思います。

平成25年の伝馬町

▲平成25年の伝馬町

会社名 株式会社 繁田平作商店
所在地 〒420-0858 静岡県静岡市葵区伝馬町17番地の1
電話 054-252-2676
創 業 昭和元年
設 立 昭和24年12月27日
資本金 1000万円
適格請求書登録番号 T1-0800-0100-1963
代表取締役 繁田昌大
事業内容 菓子卸、小売、FC事業